私の漂流記

2005年7月25日
私の漂流記
・・・

なんかよく分からないんだけど、
ようやく落ち着いたような気がしますσ(・ω・`)

頭のもやが晴れたと言うか・・・

まだ頭痛はあるんだけどね^^;

たとえば、デスノートが娯楽として見れるようになった
デスノートのコラを読んでたら、皆楽しんで見てるようで、
自分の見方が偏っていた感じを受けました

この世界が、理想な存在ではなく、虚偽や欲望などに対し、
失望とか焦りとか、少しだけ恍惚感があったり
人がもっと高尚であるべきと考えていたみたいσ(・ω・`)

書けなくなった小説がある。タイトルは、
「クリストファー」と「大場つぐみがデスノートを放棄した話」です(・ω・`)ゞ

クリスは一国の王子で、ある日礼拝堂で「世界の片鱗」を垣間見ることになる
彼は世界が奇麗事ではない事に気づき、失望する
そして、自分の手で世界を変えようと・・・

今冷静に考えると、デスノートのオマージュだったね(笑
クリスは”MONSTER”の「ヨハン・リーベルト」と被って(ry

デスノートの放棄の話は、
漫画の連載の中で月が死んだことを確認した少年が、初めてファンレターを書く。
「私は”大場さんがノートを放棄した”と考えています。
その理由は、月が著者自身を重ね、完璧な存在を求めていたのではないか?と考えていたからです」と
後日彼の元に手紙が届く。黒い手紙に”あの書式”で場所と日時が。
そこには小学生や社会人など6名いて、一人の女性が皆の前に現れる。
私が大場だと告げ、「メサイヤ計画」の話をする・・・

っとこれも冷静に考えると(´・ω:;.:...
ははは、情緒不安定だったからな〜
メサイヤ計画は”12ドアーズ”の影響w


書けなくなったのは、私が成長したんだと思います(ぁ

ここに彼者達の墓標を立てます
もう書けないかも知れないし
まぁ、表に出せそうな話ではなかったけどね^^;

フラッシュはまだ頭の中に残ってるから表現できるかも

ぁ〜なんか清清しいね、なんでだろうか・・・
頭痛が治ったら、また世界を憎んだりするのでしょうか?

この世界に名を付けるとしたら

「慈愛と憎悪」

私らしい答えだと思います

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